2020年5月4日月曜日

K-1の歴史:全盛期時代の衝撃いろいろ

立ち技最強の格闘技がK-1です。
昔の記憶なので忘れていることも多いですが、1990年代後半~2005年くらいまでがK-1の全盛期と言えるでしょう。

私は当時、スカパーを契約して全試合を見ていました。
当初は重量級(ヘビー級)が中心でしたが、2000年代に入り、ミドル級も人気がでてきたため、ヘビー級とミドル級でK-1全盛期を作ったといえると思います。

1990年代後半当初、K-1で活躍していた初期の選手は、アンディフグ、マイクベルナルド、ピータアーツ、アーネストホースト、レイセフォー、サムグレコ、佐竹雅昭などだったと思います。

この中でも、アンディフグは体が比較的小さかったにもかかわらず、大柄な選手を巧みな技で倒すことが多く、人気が高かったと思います。
それに、確か、K-1グランプリの初代チャンピオンはアンディフグだったと記憶しています。

また、日本人で活躍していたのは空手出身の佐竹雅昭です。この当時、武蔵もいましたが、まだ体が細く痩せていて活躍するには程遠い感じの選手だったと思います。

K-1全盛期、私が一番最初に衝撃を受けた試合が、1999年のK-1グランプリでのピータアーツ対ジェロムレバンナの試合です。

ジェロムレバンナも当初からK-1にはいた選手ですが、そんなに目立った選手ではありませんでした。
一時、ジェロムレバンナはボクシングを鍛えていて、その後、久しぶりにK-1の舞台に戻ってきたのが1999年のK-1グランプリです。

100Kgぐらいの体重だったジェロムレバンナですが、久しぶりにK-1に帰ってきたジェロムレバンナは、誰がみてもサイボーグのように鍛え上げられた120Kgの肉体にグレードアップされていたため、ハイパーバトルサイボーグと呼ばれるようになりました。

一方、ピータアーツは1997年と1998年のK-1グランプリを連覇した当時最強のチャンピオンでした。

この2人の戦いは、ダウン合戦となりました。
試合序盤はピータアーツのハイキックがジェロムレバンナの首に入り、ジェロムレバンナがダウン、その後、ピータアーツが優勢に試合を進めると思いきや、ジェロムのパンチがピータアーツの顔面に入り、ピータアーツが逆にダウン。結局、ジェロムレバンナのKO勝ちとなったのです。

たぶん、大多数のK-1ファンの方は、この試合が記憶に残っていると思います。

ほかにも、K-1全盛期には衝撃だった試合はたくさんあります。

サモアの怪人と呼ばれたマークハントとジェロムレバンナの試合も何回か組まれましたが、いずれも熱戦になり、興奮したことを記憶しています。

ボブサップとアーネストホーストの試合もいろいろな意味で衝撃を受けた試合です。

K-1がなぜ大人気を集めたかというと、どこからともなくやってきた大巨人が、格闘技の経験のあるなしにかかわらず、いきなりK-1のリングでK-1トップファイターをKOしてしまうような衝撃を味わえるからだったと思っています。

ボブサップも当初、元アメリカンフットボールの選手で格闘技の経験が豊富なわけではなかったにもかかわらず、いきなり、K-1トップファイターのアーネストホーストを倒してしまったのです。

このように、衝撃的だった試合の数が多すぎ、いっぺんには紹介しきれないため、少しずつ追加していきたいと思います。

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